記事 |
この社は、天歴2年(948年)加賀一宮・白山神社を本郷元町に勧請したのが創りで、元和2年(1616年)徳川2代将軍秀忠の命により巣鴨原(現在の小石川植物園)に移ったが、その後5代将軍職につく前の、館林侯綱吉の屋敷造営の為、明歴元年(1655年)現在地に再度移った。明治元年勅祭神社に準じられ、東京十社の一つに数えられている。境内南側にある八幡神社社殿右側に、八幡太郎義家が戦勝を祈願したという「旗櫻」がある。花の真に旗の形をした花弁があるという名花で、今日は8分咲き位か、どっしりとした姿の良い樹である。旗櫻は入口駐車場付近にも1本あった。又本殿左側には紅枝垂櫻の大きな若木もある。こちらは8分咲き位で、花付きも今少し良くなかった。本殿後ろの公園にはソメイヨシノの古木や枝垂櫻の若木が満開だった。ここは梅雨時のあじさいの方が有名で花の時期には沢山の人が訪れる。 |